信濃の国からこんにちは!(*^-^*)****✋ sachinoyo.exblog.jp

都会から原村に移住して10年が経ちました。まだ、知り得ぬ事が沢山の、暮らしや色々な事を徒然なるままに綴っております。


by sachinotomo
プロフィールを見る
画像一覧
通知を受け取る
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

気が付いた道路標識

10年も通っていたのに・・・・
甲州街道だと思っていた道路は、何と、旧中山道だった!
ものを知らずに過ごすという事は、無知のままで、新しい認識や知識が増えてゆかない。

a0296560_00412124.jpg

此の標識で、今日、やっと、気が付いた。
しかし、旧中山道って、どこからどこなのか?

ネットでいろいろ調べてみた。

そうしてわかったこと!
何と、私とご縁が深いみちだったのか!



中山道(なかせんどう)は、江戸時代五街道の一つで、江戸日本橋京都三条大橋を内陸経由で結ぶ街道である

中仙道」、「仲仙道」とも表記するほか、「木曾街道」や「木曽路」の異称も有した。


日本橋にお勤めして、蕨に住んで、浦和に住んで、大宮に良く通って、高崎の祖母のところへは子供の頃、夏休みの半分は過ごして、下諏訪には毎週何回か通い、板橋には今は毎年数回は行っております。京都にも2回ほど、行きました。

こんなにご縁があった中山道。お世話になっています。
今頃気づくなんて、大体において、いろいろ、気づく事が遅い自分なのですね~。120.png
119.png
146.png
147.png
153.png


でも、遅かったですが、今、気づく事が出来て良かったと思うことにします。(自己肯定)
気付くことが出来て、感謝・合掌




それでは、甲州街道って、どちらなのでしょう?

街道地図



  





178.png
五街道のひとつ甲州街道は、江戸日本橋を起点に、内藤新宿、下高井戸、上高井戸、布田五宿、府中、日野、八王子を通り小仏峠から甲府を経て信州の下諏訪に至る、200キロ強にも及ぶ約53里の道である。甲州街道は当初、江戸城と甲府城を結ぶ軍事目的を主眼としたものだったが、江戸城に危機が及んだときの避難路だったという説もあり、これは甲府城を有する甲府藩が親藩であること、沿道の四谷に伊賀組・根来組・甲賀組・青木組(二十五騎組)の4組から成る鉄砲百人組が配置し、鉄砲兵力が将軍と共に甲府までいったん避難した後に江戸城奪還を図るためである。そして、江戸中期頃から、甲州・信州などから江戸への流通の道として重要性を増して行き、甲府城に詰める武士「甲府勤番」(こうしゅうきんばん)や八王子千人同心、富士講(富士山信仰の組織)にさらに毎年4月には、幕府御用達の宇治茶を江戸まで届けるお茶壺道中も通り、街道筋は賑わいを見せ、江戸100万人の生活を支える動脈として発展した。
【簡単には】
別称甲州道中江戸時代五街道の一つ。江戸日本橋を起点に内藤新宿 (新宿) を経て甲府にいたり,さらに下諏訪中山道に合流する。本来は甲府までの 38宿であるが,甲府,上諏訪の信州往還6宿も街道の延長として含み,44宿,53里2丁 (約 208km) とすることもある。


そういえば、お江戸日本橋あたりにお勤めしていたころ、内藤新宿のお殿様の子孫と言われる内藤さまとお仕事で接触させて戴いておりましたが、やはり、雰囲気がお殿様のようで、ステキでした。



一年前は『        』なんて記事を書いていました。178.png





 
いつもお読み頂き有難うございます。.。゜+.(・∀・)゜+.゜

よろしければポチッ☆と応援よろしくお願いします。







トラックバックURL : https://sachinoyo.exblog.jp/tb/238570367
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
名前
URL
削除用パスワード
by sachinotomo | 2018-06-09 01:04 | 歴史を知る | Trackback | Comments(0)